「断る」の先にあるのは、愛かもしれない。
グループで出掛けようとするとき。
誰かが「あそこ行ってみたい!」って言ったら 違う誰かが「いいねー!私も行ってみたかった!」って言い。
また違う誰かが「いいねー!あそこにする?」って言い。
実はそこに全然興味がないのに、自分も「いいねー!行こう行こう」って、ちょっと無理して言う。
いざ出掛けても、なかなか居心地が悪い。でもみんな楽しんでいる中、場の雰囲気を乱しちゃいけないから、自分も楽しんでるフリをする。次第に息もしづらくなってくる。(比喩じゃない。)
みんなは楽しめてるのに、私は楽しめないなんて、なんか欠陥があるなぁ…と、自分が悲しくなったり。
ある会合があって、参加してるのだけど、なかなか楽しくなくて、居心地が悪い。それでも場の雰囲気を乱しちゃいけないから、楽しそうなフリをして会が終わるのを待つ。
その後、ドッと疲れる…。
あなたにも そんな経験、あったりしませんか?
これは過去の私です。
仲の良い人達の、多数の意見が自分と異なる時、自分の気持ちを伝えるよりも合わせる方を選んでた。
みんなに合わせるのが「協調性」だと思ってた。
でもそうやってると、自分の気持ちを押し殺す癖が出来てきます。
「自分さえ我慢して、明るく振る舞ってればいい」と。(そんなバイブレーションで人と付き合ってても、お互いにキツイだけなんですが)
もちろん「いい経験になるから」とか、「学べることがあるはずだから」と、ポジティブな考えもベースにあります。
でも、そんな無理をする癖が付いてしまって、息がしずらかったですから。本当に。苦しくて、楽になりたかった。
「そういうところあるなぁ」って思った方へ。
まずは、「断る」をやってみませんか?
「ごめん!私はそこに興味ないなぁ」「あそこに行ってみたいな」
「すみません、ちょっと体調が悪いのでこれで失礼します:)楽しんでくださいねー(^o^)」
「うーん、それはしたくないな」 「〇〇ならしてみたい:)」
って、言ってみる。
すぐに同意しないで、一呼吸おいて、自分の本音を伝えてみよう。
自分の気持ちを押し殺して、人に合わせることは、「協調性」とはかけ離れた行為だと私は思います。
自分の気持ちを尊重できて初めて、本当の意味で人の意見を尊重できるのではないかな?と。
自分の気持ちを殺す人は、時に自分の意見を伝える人を否定しているかもしれないということ。
なので、断りたい時は、断る。
勇気を持って、断ってみよう。
誰かのせいにもしない、自分の人生を生きる一歩だと思います☺️💕
どうしても断れないような状況なら、自分の心と会話して、折り合いをつける。
それもまた大切な事。自分と会話してください。
昨日は、そんな癖から抜け出してNoが言えるようになった、本音で話せるようになった私にできた、最高な仲間たちとの飲み会でした🍻
この会が始まるまでの私達の会話。
「ここ行きたい!」
「おー!!楽しそう〜〜行きたい!」
「私も行きたーい!」
ちさと「私はそこは行きたくなーい!後から合流します」
みんな「はーい!(^o^)」
笑
他にももう1つ、これは割愛(^o^)✨
もう最高に幸せなひと時でした。
自分が本音を言えるようになると、周りの人も、本音を話してくれるようになる。
Noが言える人同士だから、お互いに最高のシチュエーションが生み出せる。
更に絆が深まる。
「断る」の先にあるのは、愛だと思ってます。
断る勇気を持とう。